基本は仮プレイング置き場
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守宮かなめは部屋を出る。
溜めに溜めたありったけの『力』を抱えて、戦場へ向かう。
世とは大地、世とは空、世とは世界全てを構成遍くもの。
土地神とは、限定的ながら世の理を司るもの。
ならば…この戦いで滅びゆくものはどちらであっても構わない。
神とは概念でなくてはならない。崇められ、恐れられ、信仰の見返りを求められたとしても何の手も下さない。
在って無きもの。土地神を名乗るならば、ヒトに肩入れし過ぎることは決して褒められたものではない。
故に土地神の一族は隠遁を決めたのだから。
しかし、一族は少女を残して滅びた。
座敷牢で、いつも通り山のような書物を読み漁るだけの日々を過ごしていたその間に。
父も母もそれ以外の顔見知りも、ありとあらゆるものが残骸と化した。
その惨状を目の当たりにして、それでも少女は…守宮かなめは泣くことも無ければ、
幽閉から解放されたことを喜ぶ事も無かった。
淡々と、ただ淡々と外を識る事に没頭し始め、土地神として自らが納める場所を探し始めた。
残ったものの務めを果たすために。
そして幾多の流浪の果てに、かなめは今、此処にいる。
少しだけ生に執着を持って、今を生きたいと願う…当たり前の少女となって。
友達が出来た
それだけで神様は変わったのだ。
それっぽっちのことを十数年知らなかった。
世を乱してまで守るべきもの得てしまったことは、神としては恥ずべき事だ。
それでも
「それでも」と…かなめは思う。
何もせずに惰性で生き、蓄えた力を死蔵し、それを使命とすることにどれ程の意味があるのか。
守宮かなめは土地神である。…だが、今は守宮かなめでもある。
「今日は神様は休業なのよ。『私』は欲しいものが沢山あるし、まだ死にたくなんてないのよ」
だから、少女は部屋を出る。
外へ出れば土地神は「守宮かなめ」になれる。
多分、それは嘗て誰かが願った少女の姿。
「生前」に見ることの叶わなかった少女の幸せ。
それは少女が知らない物語。
誰かが綴った思いの断片。
満足そうに微笑む二つの幻が、朝焼けに掻き消えた。
溜めに溜めたありったけの『力』を抱えて、戦場へ向かう。
世とは大地、世とは空、世とは世界全てを構成遍くもの。
土地神とは、限定的ながら世の理を司るもの。
ならば…この戦いで滅びゆくものはどちらであっても構わない。
神とは概念でなくてはならない。崇められ、恐れられ、信仰の見返りを求められたとしても何の手も下さない。
在って無きもの。土地神を名乗るならば、ヒトに肩入れし過ぎることは決して褒められたものではない。
故に土地神の一族は隠遁を決めたのだから。
しかし、一族は少女を残して滅びた。
座敷牢で、いつも通り山のような書物を読み漁るだけの日々を過ごしていたその間に。
父も母もそれ以外の顔見知りも、ありとあらゆるものが残骸と化した。
その惨状を目の当たりにして、それでも少女は…守宮かなめは泣くことも無ければ、
幽閉から解放されたことを喜ぶ事も無かった。
淡々と、ただ淡々と外を識る事に没頭し始め、土地神として自らが納める場所を探し始めた。
残ったものの務めを果たすために。
そして幾多の流浪の果てに、かなめは今、此処にいる。
少しだけ生に執着を持って、今を生きたいと願う…当たり前の少女となって。
友達が出来た
それだけで神様は変わったのだ。
それっぽっちのことを十数年知らなかった。
世を乱してまで守るべきもの得てしまったことは、神としては恥ずべき事だ。
それでも
「それでも」と…かなめは思う。
何もせずに惰性で生き、蓄えた力を死蔵し、それを使命とすることにどれ程の意味があるのか。
守宮かなめは土地神である。…だが、今は守宮かなめでもある。
「今日は神様は休業なのよ。『私』は欲しいものが沢山あるし、まだ死にたくなんてないのよ」
だから、少女は部屋を出る。
外へ出れば土地神は「守宮かなめ」になれる。
多分、それは嘗て誰かが願った少女の姿。
「生前」に見ることの叶わなかった少女の幸せ。
それは少女が知らない物語。
誰かが綴った思いの断片。
満足そうに微笑む二つの幻が、朝焼けに掻き消えた。
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アレは…、そう、あのシンドい伯爵戦争を間近に控えた頃だったか。
いつも通りにオレは夕食の買出しに出ていて、さぁ帰ろうかって時にソレを見つけた。
正確には…向こうからやって来たってのが正しい。
夕日で橙色に染まった世界。
その中で、異質極まりない真っ黒な装束を纏った女が雑踏の中に立っていた。
「酷く」綺麗な顔立ちで、「恐ろしく」澄んだ双眸がこっちを見ていたことを、
今でもはっきり覚えている。
そしてその手に、あの真っ赤な刃が握られていたことも…。
「…物騒な人だな、アンタ。人ごみのど真ん中だぞ、何を考えてる?」
得物に気がついたオレは、慌ててそいつの手を引っ掴んで人ごみから遠ざけるように走った。
とにかく、一般人の目につきにくい場所へ。
こいつが普通ではないが、リリスとかナンバードの類じゃないことだけは解った。
少なくとも、オレの「鼻」には引っかかっていない…だったら人間だ。
まぁ、走ってる最中に背中からバッサリ斬られる可能性はあったが、不思議とそれは無かった。
幸い…いや、あいつからすればそんなつもりは無かったんだろう。
今考えれば、その行動は全部説明がつくけど、にしたって無茶苦茶極まりない話だ。
ともかく、人ごみから引きずり出して向かった先はいつもの教会。
不幸なことに、その日に限って全員帰ってたのは当てが外れたと肝を冷やしたもんだ。
だから結局オレは一人でそいつと対峙することにした。
狙いは「何」か?誰かはハッキリしているから、残るは目的だ。
あんなに堂々と抜き身の剣を手に歩いていても騒がれないこと。
ゴーストじゃないが、さっきから感じる「嫌な気配」。
「アンタ、能力者だろ?学園の人間じゃないみたいだけど、何が目的だ?」
この感覚、気配に近い能力者は知っている。
黒燐蟲使いか或いは魔剣士。
ただ、それにしてはイグニッション状態にも関わらず蟲は解放されてない。
ならば魔剣士なのかと言われればそれも何処か違う。
異質な気配を放っているとはいえ、力を感じるのは「本人」ではなく「剣」の方だ。
「…ようやく会えました。フフッ、本当にまた会えるとは、運命というのも捨てたものじゃないんですね」
「は?」
「フフッ…フフフ…アハハ…」
ぶっちぎりでイカレた女だって、この時はっきり思ったよ。
銀誓館に来て、何だかんだと色んな人には会ってきたけど、その中でもとびっきりだ。
大体、鎌倉の街中でシスター服着て出歩くやつなんて普通じゃない。
加えて、独り言に独り笑い…会話も成立するのか怪しいと考えもした。
「…失礼しました。お久しぶりですね、こうしてまた出会えて嬉しいです…聖司」
「な、何でオレの名前を知ってる!?」
そんな風に思っていたから、急にまともな挨拶をするから虚を突かれた。
だけど、それ以上にサラッととんでもないことを目の前のシスターは口にしたんだ。
背筋にあんな悪寒が走ったのは、それこそ初めてゴーストに出くわした時以来だったかもしれない。
だってそうだろ?「久しぶり」に会う誰かって記憶のカテゴリーにこんな女は存在しないんだから。
「何故?…フフッ、変なことを聞くんですね、聖司。知っていて当然じゃないですか。
貴方の顔も、声…は流石に声変わりしてますね。そして何よりこうして感じる波動…全て覚えています。
ええ、忘れたことはありません。忘れるはずがありません。
…だってそうでしょう?父と母から分け合った血と肉…魂で繋がっているんですから!」
言葉が出なかった。というか何を言ってるのか一つも理解出来なかった。
ただ、前に宗教勧誘の手口とかそういう話を聞いたことがあったなって思い出した気がする。
「すまない、何のことだか全然解らない。
とにかく、オレが言いたいのはその物騒なものを早く仕舞うか隠すかしてくれってだけだ。
鎌倉にいるってことは、銀誓館を知らないわけじゃないんだろ?」
一刻も早く、この異常な状況を脱したかったオレが言い放った言葉が如何に不用意だったか。
…今思い出すと、もう少し言いようというか上手い切り返しがあったんじゃないかって思わないでもない。
とにかく、その言葉で厄介事の引鉄を引いた。それだけは間違いない。
「わ…わからない?聖司、それはどういうことですか?
私に覚えがないと…そう言うのですか?何故?この10年、貴方に何が…。
そう…、戸来の家も魔術師でしたね…ということは何かされましたか。
私も貴方も、あの日から不幸の中で生き続けてきたのですね。
むしろ、無能であっただけ私の方が幸いだったのでしょうか。
聖司、気を付けてください。貴方は利用されています、早く戸来とは手を切るべきです!」
「ちょっと待ってくれ!何の話だ?
確かに父さんの家系は魔術師だったらしいけど、それらしいことは何も無かった。
何より、不幸だったとも思ったことは無い!戸来と手を切るだって?そんなこと出来るわけないだろ。
あの家も、村も…オレにとってかけがえのない場所だ!何なんだ、いきなり現れて勝手なことばかり言って!
アンタは誰だ?オレとどんな関係がある?」
認識の相違ってのは怖いもんだなってつくづく思うよ。
段取りが違えば、「今」みたいな関係じゃなかったのかもしれないって。
…でも、もう遅かったんだ。お互いの環境の違いと、その間の10年って時の流れは運命の糸を捻じ絡ませるに十分だった。
「可哀想に…、余程厳重な刷り込みと暗示で改竄されてしまっているんですね。
覚えていませんか?オーストリアの森で二人で迷ってしまったこと、母の歪な形のパン、父から頂いた誕生日のプレゼント。
あの懐かしい穏やかな日々を。私が誰で、貴方とどんな関係にあるかと…そう言いましたね?
私の名前は逢坂真理。…そして聖司、貴方の名前は逢坂聖司です。
解りますよね?私達は逢坂の血を分け合った家族です…」
あいつの言葉が嘘でなければ、事実はそうなんだろう。
オレは戸来の養子で、5歳以前のことは覚えてない。
記憶に無いのは、自然とオレが忘れてしまっただけかもしれないし、或いは父さんが何かしたのかもしれない。
…だけど、いきなり本当の家族だなんて言われて納得できると思うか?
本当にオレの事を一番に考えてくれた人達を「嘘」と呼んで、
どんな理由であれ、オレを手放した人達を「本当」の家族だなんて簡単に考えられるか?
「そいつを信じるに足る証拠はあるのか?
超常の世界じゃ、容姿が似てるくらいはどうにでもできる話だよな。
記憶だってアンタの言い分じゃ簡単に弄り回せるものだ。
…何より、それが事実だとしても、アンタに何が解る?
命懸けでオレを育て…生かしてくれた人達の何を知ってるって言うんだよ?」
「なるほど、一理ありますね。
残念ながら真実は私しか見えてないという…その現実は認めましょう。
…では、戸来の家に案内して頂けませんか?そこで全てを開示しましょう。
貴方の帰るべき場所が本当は何処なのか、貴方が父と母と呼ぶべき人は誰なのかを…。
簡単なことです、今の私にはそれが可能なだけの力があるのですから」
「………だよ」
「はい、なんでしょうか?」
「死んだんだよ。父さんも、母さんも。二人の遺言を頼りに、オレは今此処にいる。
それから、真実だとか本当の両親が誰だとか…そんなことはどうだっていい。
あの場所で10年間、見てきたこと…聞いていたこと…接してきたこと、その何処にも嘘なんか無い。
オレの家族を…否定しないでくれ」
ほんの少しトラブルを回避しようとしただけなのに、とんでもない薮を突いたってあの時は後悔した。
正直、冷静に考えれば、自分が養子だって遺言状で初めて知らされたのが去年。
生みの親のことをこんなに早く知ることが出来たのは、むしろ幸せなことだったと思う。
一時期は何か情報は無いかって探したこともある。
……だから、心のどこかで嬉しいと思ったことは認める。
ただそれでも、死んだ父さんと母さんを疑うような相手を家族と認めることは直ぐに出来そうはない。
「…そうですか。解りました。
では、今日のところはこれで失礼します。
今度はもう少しゆっくりと話せる時に伺いますね」
「悪いが、アンタを信用したつもりはないぞ。
アンタが本当のことを言っているなんて、はっきりしたわけじゃないんだからな」
「フフッ、そうですね。今はそれで良いです」
「…なんで笑ってるんだ?信用しないって言ってるんだぞ?」
オレとは違う10年を歩んだ「きょうだい」が如何なるものを抱えて生きてきたのか、この時のオレは知らない。
ただ、あの眼は、奥底が見えないほど深くて冷たくて、寂しい場所を映していた。
歪みはしても壊れはしなかった、深海で生きるためにそうならなければならなかった。
僅かな願いを糧に、最悪の世界で足掻いていたあいつは、ようやく見つけた答えに笑っていた。
「母が…、セリカ母さまならきっと同じことを言う。そう思いました」
それ以上何も言わずにあいつは帰っていったよ。
ただ…その時、紅い剣が嘲笑ってるような気がした。
呪剣って言うだけあって、相当性格悪いなアレは。
こんな感じ。まぁ、最悪な出会いってやつだ。
お互い相手の言い分が信用出来ないって、初手からすれ違ってるんだから無理もないんだけど。
そんなだから、今でも尾を引いてあんな感じなんだよ。
嫌ってるっていうわけじゃない。
それから先は知っての通りで、何かとコミュニケーション図ろうとしてくるが、全部何処かおかしい。
もっと普通なら、そんなに邪険に扱うつもりはこっちだってないんだ。
考えたけど、結局…オレはどっちでも良い。
いや、正確にはどっちも肯定した上で、オレは「戸来」聖司だ。
覚えてないけど、生まれはあいつの言う通り逢坂で、その先に戸来として生きてきた時間がある。
否定してもしょうがないだろ。過去に遡って全部やり直せるならともかく、現実は前に向かって行くしかない。
…なら、全部背負うさ。今までとこれから…生きてく限り増えていくものは全部。
まぁ、差し当ってはこうやって飯が作れるのは戸来の家にいたからだ。悪いことじゃないだろ?
というわけで、みんなを呼んで来てくれ。
………え?ああ、今日はあいつも来てるのか。いや、解ってるって。ちゃんと人数に勘定入れて準備してる。
言っただろ、背負うって。
いつも通りにオレは夕食の買出しに出ていて、さぁ帰ろうかって時にソレを見つけた。
正確には…向こうからやって来たってのが正しい。
夕日で橙色に染まった世界。
その中で、異質極まりない真っ黒な装束を纏った女が雑踏の中に立っていた。
「酷く」綺麗な顔立ちで、「恐ろしく」澄んだ双眸がこっちを見ていたことを、
今でもはっきり覚えている。
そしてその手に、あの真っ赤な刃が握られていたことも…。
「…物騒な人だな、アンタ。人ごみのど真ん中だぞ、何を考えてる?」
得物に気がついたオレは、慌ててそいつの手を引っ掴んで人ごみから遠ざけるように走った。
とにかく、一般人の目につきにくい場所へ。
こいつが普通ではないが、リリスとかナンバードの類じゃないことだけは解った。
少なくとも、オレの「鼻」には引っかかっていない…だったら人間だ。
まぁ、走ってる最中に背中からバッサリ斬られる可能性はあったが、不思議とそれは無かった。
幸い…いや、あいつからすればそんなつもりは無かったんだろう。
今考えれば、その行動は全部説明がつくけど、にしたって無茶苦茶極まりない話だ。
ともかく、人ごみから引きずり出して向かった先はいつもの教会。
不幸なことに、その日に限って全員帰ってたのは当てが外れたと肝を冷やしたもんだ。
だから結局オレは一人でそいつと対峙することにした。
狙いは「何」か?誰かはハッキリしているから、残るは目的だ。
あんなに堂々と抜き身の剣を手に歩いていても騒がれないこと。
ゴーストじゃないが、さっきから感じる「嫌な気配」。
「アンタ、能力者だろ?学園の人間じゃないみたいだけど、何が目的だ?」
この感覚、気配に近い能力者は知っている。
黒燐蟲使いか或いは魔剣士。
ただ、それにしてはイグニッション状態にも関わらず蟲は解放されてない。
ならば魔剣士なのかと言われればそれも何処か違う。
異質な気配を放っているとはいえ、力を感じるのは「本人」ではなく「剣」の方だ。
「…ようやく会えました。フフッ、本当にまた会えるとは、運命というのも捨てたものじゃないんですね」
「は?」
「フフッ…フフフ…アハハ…」
ぶっちぎりでイカレた女だって、この時はっきり思ったよ。
銀誓館に来て、何だかんだと色んな人には会ってきたけど、その中でもとびっきりだ。
大体、鎌倉の街中でシスター服着て出歩くやつなんて普通じゃない。
加えて、独り言に独り笑い…会話も成立するのか怪しいと考えもした。
「…失礼しました。お久しぶりですね、こうしてまた出会えて嬉しいです…聖司」
「な、何でオレの名前を知ってる!?」
そんな風に思っていたから、急にまともな挨拶をするから虚を突かれた。
だけど、それ以上にサラッととんでもないことを目の前のシスターは口にしたんだ。
背筋にあんな悪寒が走ったのは、それこそ初めてゴーストに出くわした時以来だったかもしれない。
だってそうだろ?「久しぶり」に会う誰かって記憶のカテゴリーにこんな女は存在しないんだから。
「何故?…フフッ、変なことを聞くんですね、聖司。知っていて当然じゃないですか。
貴方の顔も、声…は流石に声変わりしてますね。そして何よりこうして感じる波動…全て覚えています。
ええ、忘れたことはありません。忘れるはずがありません。
…だってそうでしょう?父と母から分け合った血と肉…魂で繋がっているんですから!」
言葉が出なかった。というか何を言ってるのか一つも理解出来なかった。
ただ、前に宗教勧誘の手口とかそういう話を聞いたことがあったなって思い出した気がする。
「すまない、何のことだか全然解らない。
とにかく、オレが言いたいのはその物騒なものを早く仕舞うか隠すかしてくれってだけだ。
鎌倉にいるってことは、銀誓館を知らないわけじゃないんだろ?」
一刻も早く、この異常な状況を脱したかったオレが言い放った言葉が如何に不用意だったか。
…今思い出すと、もう少し言いようというか上手い切り返しがあったんじゃないかって思わないでもない。
とにかく、その言葉で厄介事の引鉄を引いた。それだけは間違いない。
「わ…わからない?聖司、それはどういうことですか?
私に覚えがないと…そう言うのですか?何故?この10年、貴方に何が…。
そう…、戸来の家も魔術師でしたね…ということは何かされましたか。
私も貴方も、あの日から不幸の中で生き続けてきたのですね。
むしろ、無能であっただけ私の方が幸いだったのでしょうか。
聖司、気を付けてください。貴方は利用されています、早く戸来とは手を切るべきです!」
「ちょっと待ってくれ!何の話だ?
確かに父さんの家系は魔術師だったらしいけど、それらしいことは何も無かった。
何より、不幸だったとも思ったことは無い!戸来と手を切るだって?そんなこと出来るわけないだろ。
あの家も、村も…オレにとってかけがえのない場所だ!何なんだ、いきなり現れて勝手なことばかり言って!
アンタは誰だ?オレとどんな関係がある?」
認識の相違ってのは怖いもんだなってつくづく思うよ。
段取りが違えば、「今」みたいな関係じゃなかったのかもしれないって。
…でも、もう遅かったんだ。お互いの環境の違いと、その間の10年って時の流れは運命の糸を捻じ絡ませるに十分だった。
「可哀想に…、余程厳重な刷り込みと暗示で改竄されてしまっているんですね。
覚えていませんか?オーストリアの森で二人で迷ってしまったこと、母の歪な形のパン、父から頂いた誕生日のプレゼント。
あの懐かしい穏やかな日々を。私が誰で、貴方とどんな関係にあるかと…そう言いましたね?
私の名前は逢坂真理。…そして聖司、貴方の名前は逢坂聖司です。
解りますよね?私達は逢坂の血を分け合った家族です…」
あいつの言葉が嘘でなければ、事実はそうなんだろう。
オレは戸来の養子で、5歳以前のことは覚えてない。
記憶に無いのは、自然とオレが忘れてしまっただけかもしれないし、或いは父さんが何かしたのかもしれない。
…だけど、いきなり本当の家族だなんて言われて納得できると思うか?
本当にオレの事を一番に考えてくれた人達を「嘘」と呼んで、
どんな理由であれ、オレを手放した人達を「本当」の家族だなんて簡単に考えられるか?
「そいつを信じるに足る証拠はあるのか?
超常の世界じゃ、容姿が似てるくらいはどうにでもできる話だよな。
記憶だってアンタの言い分じゃ簡単に弄り回せるものだ。
…何より、それが事実だとしても、アンタに何が解る?
命懸けでオレを育て…生かしてくれた人達の何を知ってるって言うんだよ?」
「なるほど、一理ありますね。
残念ながら真実は私しか見えてないという…その現実は認めましょう。
…では、戸来の家に案内して頂けませんか?そこで全てを開示しましょう。
貴方の帰るべき場所が本当は何処なのか、貴方が父と母と呼ぶべき人は誰なのかを…。
簡単なことです、今の私にはそれが可能なだけの力があるのですから」
「………だよ」
「はい、なんでしょうか?」
「死んだんだよ。父さんも、母さんも。二人の遺言を頼りに、オレは今此処にいる。
それから、真実だとか本当の両親が誰だとか…そんなことはどうだっていい。
あの場所で10年間、見てきたこと…聞いていたこと…接してきたこと、その何処にも嘘なんか無い。
オレの家族を…否定しないでくれ」
ほんの少しトラブルを回避しようとしただけなのに、とんでもない薮を突いたってあの時は後悔した。
正直、冷静に考えれば、自分が養子だって遺言状で初めて知らされたのが去年。
生みの親のことをこんなに早く知ることが出来たのは、むしろ幸せなことだったと思う。
一時期は何か情報は無いかって探したこともある。
……だから、心のどこかで嬉しいと思ったことは認める。
ただそれでも、死んだ父さんと母さんを疑うような相手を家族と認めることは直ぐに出来そうはない。
「…そうですか。解りました。
では、今日のところはこれで失礼します。
今度はもう少しゆっくりと話せる時に伺いますね」
「悪いが、アンタを信用したつもりはないぞ。
アンタが本当のことを言っているなんて、はっきりしたわけじゃないんだからな」
「フフッ、そうですね。今はそれで良いです」
「…なんで笑ってるんだ?信用しないって言ってるんだぞ?」
オレとは違う10年を歩んだ「きょうだい」が如何なるものを抱えて生きてきたのか、この時のオレは知らない。
ただ、あの眼は、奥底が見えないほど深くて冷たくて、寂しい場所を映していた。
歪みはしても壊れはしなかった、深海で生きるためにそうならなければならなかった。
僅かな願いを糧に、最悪の世界で足掻いていたあいつは、ようやく見つけた答えに笑っていた。
「母が…、セリカ母さまならきっと同じことを言う。そう思いました」
それ以上何も言わずにあいつは帰っていったよ。
ただ…その時、紅い剣が嘲笑ってるような気がした。
呪剣って言うだけあって、相当性格悪いなアレは。
こんな感じ。まぁ、最悪な出会いってやつだ。
お互い相手の言い分が信用出来ないって、初手からすれ違ってるんだから無理もないんだけど。
そんなだから、今でも尾を引いてあんな感じなんだよ。
嫌ってるっていうわけじゃない。
それから先は知っての通りで、何かとコミュニケーション図ろうとしてくるが、全部何処かおかしい。
もっと普通なら、そんなに邪険に扱うつもりはこっちだってないんだ。
考えたけど、結局…オレはどっちでも良い。
いや、正確にはどっちも肯定した上で、オレは「戸来」聖司だ。
覚えてないけど、生まれはあいつの言う通り逢坂で、その先に戸来として生きてきた時間がある。
否定してもしょうがないだろ。過去に遡って全部やり直せるならともかく、現実は前に向かって行くしかない。
…なら、全部背負うさ。今までとこれから…生きてく限り増えていくものは全部。
まぁ、差し当ってはこうやって飯が作れるのは戸来の家にいたからだ。悪いことじゃないだろ?
というわけで、みんなを呼んで来てくれ。
………え?ああ、今日はあいつも来てるのか。いや、解ってるって。ちゃんと人数に勘定入れて準備してる。
言っただろ、背負うって。
雪の降る街を影が疾駆する。
全てが白い雪化粧に覆われた街に点々と足跡だけを残して駆ける。
「ソレ」自体が自らを追い詰めるモノになろうとは、当の本人は気づきもしないだろう。
生前はともかく、今は既にそんな知識を持ち合わせていないのだから。
「…ふふっ、楽しいわね…スヴァローグ?」
雪上に続く足跡に目を落とした少女がそう呟いて嗤う。
真紅の刃を携えた修道服の少女が妖しく嘲笑う。
少女はただ、今宵の狩りを楽しんでいた。
影はいつの間にか人気の無い路地裏へと迷い込んでいた。
否、正確には追い詰められていたという方が正しい。
おかしいと「彼」は思った。
元々、狩る側だったのはどちらであったのかと。
人間は彼にとって獲物でしかなかったはずである。
それがどうして逃げなければならないのか。
至る答えは至極単純なことだ。
------アレは人間では無い。
彼はそう思うしかなかった。
人の皮を被った別の何かであると、そうでも思わねば理解できない事が多過ぎた。
得体の知れない恐怖、それは出会ったことそのものが不幸であるかのように拭い去れない。
「逃亡劇は此処まで?ねぇ、господин?」
「…!?」
ようやく一息ついたと思っていた彼の背筋が凍る。
物理的な寒さを越えて、ゾッとするほど優美な声色が暗がりに響く。
ゆっくりとザクザクという雪を踏みしめる音と共にモンスターが気配を振り撒いて近づいてくる。
「此処はまるで檻のよう…、夜と雪で人を閉じ込める歪な世界…」
まるで芝居の演者であるかのように、少女は詩情めいた言葉を紡ぎながら鈍色に染まる雪空へ片腕を掲げる。
…だが、彼の視線は少女の挙動に向いていない。
注意を払うべきは、ただ少女の握る真紅の刃だけだ。
大凡、人を殺すために作られたとは思えぬ過剰装飾の柄と金属には思えぬ刀身の色彩は一見、美術品であるかのよう。
しかし…そうではないのだ。「アレ」はそんな高尚な代物ではない。
そもそも「剣」というカテゴリに収めること自体が間違いだと本能が警笛を鳴らす。
あらゆるモノが抜け落ち、虚構の生を与えられた存在となった彼でもはっきり解ることがある。
「アレ」はこちら側の存在だ…と。
本来は決して人間と相容れないモノ。
或いは人間を利用して存在しうるモノ。
故に彼は自らに躙り寄る少女をモンスターと呼ぶのだ。
アレは既に人間ではなく、「喰われた人間の成れの果て」モンスターだと。
「………ああ、もう良いわ。
飽きました、此処は息が詰まる…行きましょう、スヴァローグ?」
誰に語りかけているのか、この場において存在するのは「彼」と「少女」のみであるというのに。
そんな疑問を「彼」が過ぎらせ真紅の刃から注意を解いた、ほんの僅かな瞬間だった。
そこに居たはずの少女の姿が彼の視界から消え失せる。
しかし、自らを追うことを止めたわけではないことは直ぐに解った。
一瞬の…されど今までより遥かに濃密な殺気が彼を撫で付け、視界の脇を黒い影が抜けていくのが見える。
「退屈ね…、ここは本当に退屈…」
ボソボソと呟く少女の声は、悲しみとも怒りとも取れる混沌の声色だった。
耳元で聞こえた声から、通り抜ける影が修道服の少女だということは僅かに残る思考で把握出来る。
…が、その現状把握全てが遅かった。否、少女がこの場に現れた時点でどうにかして逃げることを考えるべきだった。
彼が「獲物」であるなら、少女の戯言になど付き合わずに一目散に逃げるべきだったのだ。
-----------何処へ?
深く冷たい極北の海を思わせる少女の眼が問う。
それは答えの無い問いだ、彼は何処へ往くことも出来ない。
此処が何処であるのかも解らない彼に答える術など無い。
刹那、彼は自身に片腕の感覚が無いことに気がついた。
正確には、あるはずのものが無くなるという喪失感に塗り潰されていた。
止せば良いのに、何かに引き摺られる彼は恐る恐る視線を左腕へ向け、結局は用意された絶望を享受する。
加えてその認識は新たなる地獄を彼に与えるだけの儀式でしかない。
肩口から断たれた傷口が突如として燃え上がり、自らの肉が焼ける不快な臭いと極大の苦痛を彼は味わう。
絶叫が薄暗い路地裏に響く。
失った肉体、欠損は自らの死期を大きく進める。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
沸き上がる生への執着、渇望が、残っていた彼の理性を完全に放棄させる。
負った傷を治すために必要なものは何か。
崩れゆく身体を維持するために必要なものは何か。
何より、自らを傷つけたものは何か。
人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間。
最早、ただの屍鬼と成り果て、本能の塊となった彼には「人間」という認識はそのまま襲い食らいつくべきモノとなる。
嗚呼…もう少し理性が残っていれば、振り返った先に見据えたモノの異常性に気づいただろうに。
「摘み食いなんて、下品ね…スヴァローグ。
私は食事を禁止したわけではないの、まだ食べては駄目と言ったのに…」
襲い来る彼、リビングデッドを前にしながら、少女は手にした剣に批難を向けていた。
剣は何も答えない。ただ蛇のような身と蜥蜴のような顎を動かして「何か」を咀嚼している。
肉を食み、骨を砕く…大凡、上品とは思えぬ音を立てて、剣はまるで獣のような食事を続ける。
そこに、美術品と思わしき優美な長剣の姿は無い。
「擬態」を解いた真紅の蛇が、幾日振りかの栄養補給を求めて血と肉を欲していた。
剣の名は「呪剣」、忌むべき呪いを宿す外道、魔剣中の魔剣、死喰の獣、形容の仕方は数あれど本質は唯一つ。
世界結界の外側に在る世界の異質、それだけである。
「まぁ…良いわ。この遊びにも飽きたところだもの…。
『開放』を許します、喰らいなさい…スヴァローグ!!」
声にならない絶叫と止めど無い涎を垂れ流しながら、リビングデッドは少女に狙いを定め迫る。
獣じみた速度の突撃は相手が人間なら十分に仕留め得ただろう。
しかし、彼の脳は既に「どうやって」腕をもぎ取られたのかという現実を思い出すことさえ出来ない。
淡々と告げる少女の手で呪剣が許しを得たことで嬉々として鎌首を擡げた。
貪欲に開口し、覗く牙からは焼け焦げた肉片とブスブスと水分を蒸発させるながら血の雫が滴る。
複雑に畝ねる刀身だったモノが明確な意思を示し、眼前のリビングデッドを睨み嘲笑う。
キキキキ…と、妖しく鋼の擦れる音に合わせ所有者…少女の口元も緩んだように見えた。
遭遇から今まで、全てが戦いではない。これは明確にして無慈悲な生存競争…即ち狩猟なのである。
故に獲物が自らに向かってくるという状況は、狩る側において唯の好機でしかない。
金属で出来ているとは思えないほど柔軟な動きで呪剣スヴァローグが疾る。
間合いに入ったリビングデッドの頭上へ瞬く間に陣取ると、まるで傘のように獲物を覆う。
「До свидания…、共に生きましょう?」
赦し囁く少女だが、その眼に慈悲は無い。
呪剣同様に、少女にとってもゴーストは栄養補給の手段でしかない。
憎しみも哀れみも無い。家畜を食らうことと同じく、ゴーストを代償に生きるだけ。
言葉と共にスヴァローグは彼の上半身を丸ごと喰い千切っていた。
焼ける肉の音と咀嚼音が再び静寂の中に響く。
降り止まぬ雪の中、真っ赤に染まった雪の上で修道服の少女は虚ろな顔のまま立ち尽くしていた。
「日本…、日本に行くの。
其処に私が求め続けたものがあるのよ…」
食事を続けるスヴァローグを撫でながら少女は呟く。
少女は檻の外へ出る力を得た。
無能と蔑まれた過去と決別して、自らの道を選べる力を得た。
「ようやく…、ようやくこの枷から開放されるの。
マリー・ヴィッテという仮初の名と、それにまつわる世界から。
そうだ…、私は逢坂真理。父と母から受け継いだ本当の私に戻る…」
言葉を紡ぎながら、少女…真理は嗤う。
抑圧されてきた10年を思い、その全てに唾を吐きかけて、「ざまあみろ」と歪んだ嗤いを浮かべる。
暗い雪夜に真理は嗤う。
共にあろうと呪剣もキリキリと音を響かせ震えた。
暫くの後、雪の絨毯にはどす黒く変色した血の跡だけが残った。
舞い散る雪をも燃やす妄執の影は、東を目指し旅立っていった。
全てが白い雪化粧に覆われた街に点々と足跡だけを残して駆ける。
「ソレ」自体が自らを追い詰めるモノになろうとは、当の本人は気づきもしないだろう。
生前はともかく、今は既にそんな知識を持ち合わせていないのだから。
「…ふふっ、楽しいわね…スヴァローグ?」
雪上に続く足跡に目を落とした少女がそう呟いて嗤う。
真紅の刃を携えた修道服の少女が妖しく嘲笑う。
少女はただ、今宵の狩りを楽しんでいた。
影はいつの間にか人気の無い路地裏へと迷い込んでいた。
否、正確には追い詰められていたという方が正しい。
おかしいと「彼」は思った。
元々、狩る側だったのはどちらであったのかと。
人間は彼にとって獲物でしかなかったはずである。
それがどうして逃げなければならないのか。
至る答えは至極単純なことだ。
------アレは人間では無い。
彼はそう思うしかなかった。
人の皮を被った別の何かであると、そうでも思わねば理解できない事が多過ぎた。
得体の知れない恐怖、それは出会ったことそのものが不幸であるかのように拭い去れない。
「逃亡劇は此処まで?ねぇ、господин?」
「…!?」
ようやく一息ついたと思っていた彼の背筋が凍る。
物理的な寒さを越えて、ゾッとするほど優美な声色が暗がりに響く。
ゆっくりとザクザクという雪を踏みしめる音と共にモンスターが気配を振り撒いて近づいてくる。
「此処はまるで檻のよう…、夜と雪で人を閉じ込める歪な世界…」
まるで芝居の演者であるかのように、少女は詩情めいた言葉を紡ぎながら鈍色に染まる雪空へ片腕を掲げる。
…だが、彼の視線は少女の挙動に向いていない。
注意を払うべきは、ただ少女の握る真紅の刃だけだ。
大凡、人を殺すために作られたとは思えぬ過剰装飾の柄と金属には思えぬ刀身の色彩は一見、美術品であるかのよう。
しかし…そうではないのだ。「アレ」はそんな高尚な代物ではない。
そもそも「剣」というカテゴリに収めること自体が間違いだと本能が警笛を鳴らす。
あらゆるモノが抜け落ち、虚構の生を与えられた存在となった彼でもはっきり解ることがある。
「アレ」はこちら側の存在だ…と。
本来は決して人間と相容れないモノ。
或いは人間を利用して存在しうるモノ。
故に彼は自らに躙り寄る少女をモンスターと呼ぶのだ。
アレは既に人間ではなく、「喰われた人間の成れの果て」モンスターだと。
「………ああ、もう良いわ。
飽きました、此処は息が詰まる…行きましょう、スヴァローグ?」
誰に語りかけているのか、この場において存在するのは「彼」と「少女」のみであるというのに。
そんな疑問を「彼」が過ぎらせ真紅の刃から注意を解いた、ほんの僅かな瞬間だった。
そこに居たはずの少女の姿が彼の視界から消え失せる。
しかし、自らを追うことを止めたわけではないことは直ぐに解った。
一瞬の…されど今までより遥かに濃密な殺気が彼を撫で付け、視界の脇を黒い影が抜けていくのが見える。
「退屈ね…、ここは本当に退屈…」
ボソボソと呟く少女の声は、悲しみとも怒りとも取れる混沌の声色だった。
耳元で聞こえた声から、通り抜ける影が修道服の少女だということは僅かに残る思考で把握出来る。
…が、その現状把握全てが遅かった。否、少女がこの場に現れた時点でどうにかして逃げることを考えるべきだった。
彼が「獲物」であるなら、少女の戯言になど付き合わずに一目散に逃げるべきだったのだ。
-----------何処へ?
深く冷たい極北の海を思わせる少女の眼が問う。
それは答えの無い問いだ、彼は何処へ往くことも出来ない。
此処が何処であるのかも解らない彼に答える術など無い。
刹那、彼は自身に片腕の感覚が無いことに気がついた。
正確には、あるはずのものが無くなるという喪失感に塗り潰されていた。
止せば良いのに、何かに引き摺られる彼は恐る恐る視線を左腕へ向け、結局は用意された絶望を享受する。
加えてその認識は新たなる地獄を彼に与えるだけの儀式でしかない。
肩口から断たれた傷口が突如として燃え上がり、自らの肉が焼ける不快な臭いと極大の苦痛を彼は味わう。
絶叫が薄暗い路地裏に響く。
失った肉体、欠損は自らの死期を大きく進める。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
沸き上がる生への執着、渇望が、残っていた彼の理性を完全に放棄させる。
負った傷を治すために必要なものは何か。
崩れゆく身体を維持するために必要なものは何か。
何より、自らを傷つけたものは何か。
人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間…人間。
最早、ただの屍鬼と成り果て、本能の塊となった彼には「人間」という認識はそのまま襲い食らいつくべきモノとなる。
嗚呼…もう少し理性が残っていれば、振り返った先に見据えたモノの異常性に気づいただろうに。
「摘み食いなんて、下品ね…スヴァローグ。
私は食事を禁止したわけではないの、まだ食べては駄目と言ったのに…」
襲い来る彼、リビングデッドを前にしながら、少女は手にした剣に批難を向けていた。
剣は何も答えない。ただ蛇のような身と蜥蜴のような顎を動かして「何か」を咀嚼している。
肉を食み、骨を砕く…大凡、上品とは思えぬ音を立てて、剣はまるで獣のような食事を続ける。
そこに、美術品と思わしき優美な長剣の姿は無い。
「擬態」を解いた真紅の蛇が、幾日振りかの栄養補給を求めて血と肉を欲していた。
剣の名は「呪剣」、忌むべき呪いを宿す外道、魔剣中の魔剣、死喰の獣、形容の仕方は数あれど本質は唯一つ。
世界結界の外側に在る世界の異質、それだけである。
「まぁ…良いわ。この遊びにも飽きたところだもの…。
『開放』を許します、喰らいなさい…スヴァローグ!!」
声にならない絶叫と止めど無い涎を垂れ流しながら、リビングデッドは少女に狙いを定め迫る。
獣じみた速度の突撃は相手が人間なら十分に仕留め得ただろう。
しかし、彼の脳は既に「どうやって」腕をもぎ取られたのかという現実を思い出すことさえ出来ない。
淡々と告げる少女の手で呪剣が許しを得たことで嬉々として鎌首を擡げた。
貪欲に開口し、覗く牙からは焼け焦げた肉片とブスブスと水分を蒸発させるながら血の雫が滴る。
複雑に畝ねる刀身だったモノが明確な意思を示し、眼前のリビングデッドを睨み嘲笑う。
キキキキ…と、妖しく鋼の擦れる音に合わせ所有者…少女の口元も緩んだように見えた。
遭遇から今まで、全てが戦いではない。これは明確にして無慈悲な生存競争…即ち狩猟なのである。
故に獲物が自らに向かってくるという状況は、狩る側において唯の好機でしかない。
金属で出来ているとは思えないほど柔軟な動きで呪剣スヴァローグが疾る。
間合いに入ったリビングデッドの頭上へ瞬く間に陣取ると、まるで傘のように獲物を覆う。
「До свидания…、共に生きましょう?」
赦し囁く少女だが、その眼に慈悲は無い。
呪剣同様に、少女にとってもゴーストは栄養補給の手段でしかない。
憎しみも哀れみも無い。家畜を食らうことと同じく、ゴーストを代償に生きるだけ。
言葉と共にスヴァローグは彼の上半身を丸ごと喰い千切っていた。
焼ける肉の音と咀嚼音が再び静寂の中に響く。
降り止まぬ雪の中、真っ赤に染まった雪の上で修道服の少女は虚ろな顔のまま立ち尽くしていた。
「日本…、日本に行くの。
其処に私が求め続けたものがあるのよ…」
食事を続けるスヴァローグを撫でながら少女は呟く。
少女は檻の外へ出る力を得た。
無能と蔑まれた過去と決別して、自らの道を選べる力を得た。
「ようやく…、ようやくこの枷から開放されるの。
マリー・ヴィッテという仮初の名と、それにまつわる世界から。
そうだ…、私は逢坂真理。父と母から受け継いだ本当の私に戻る…」
言葉を紡ぎながら、少女…真理は嗤う。
抑圧されてきた10年を思い、その全てに唾を吐きかけて、「ざまあみろ」と歪んだ嗤いを浮かべる。
暗い雪夜に真理は嗤う。
共にあろうと呪剣もキリキリと音を響かせ震えた。
暫くの後、雪の絨毯にはどす黒く変色した血の跡だけが残った。
舞い散る雪をも燃やす妄執の影は、東を目指し旅立っていった。
風を突き抜けるような音と共に、瞬く間も無くオレの視界が逆転する。
真っ青な空から天地の引っ繰り返った世界を目にするまで僅かに一瞬のことだった。
更にズドンという重い音と同時に背中から突き抜けるような鈍痛を味わう。
「オイ…惚けてる暇は無ぇぞ、坊主」
大の字で寝ているオレの頭の上から、そんな声が聞こえる。
地面に叩きつけられた衝撃で飛んでいた意識を徐々に取り戻すと、ようやく事情が見えてきた。
(…ああ、また投げ飛ばされたのか)
こうして空を仰ぎ見るのは幾度目だったか、途中から数えるのも億劫になって止めていた。
そして、其の度に重く軋む身体を引き起こして立ち上がることを繰り返す。
ヨロヨロとふらつきながら身を起こすと、ニヤリと笑う男が立っている。
不精に伸びた髪と髭と深い傷痕だらけの顔。
使い古された皮のコートを羽織った男の纏う気配は、はっきり言って尋常じゃない。
否、言い方を変えよう。「カタギ」の雰囲気ではない。
それはそうだろう、数年前まで人の命を躊躇うことなく奪うような世界に身を置いていたのだ。
男の名は「宮本銀次」。
かつてフランス陸軍外人部隊に所属していた経験を持つ元軍人。
そして…15年前に銀誓館へ入学していた。無論、能力者として。
「情けねぇ面だな、もうへばったのか聖司?」
「…まだやれる」
「そうかい。…が、そのままやっても結果は見えてるな。
オイ、お嬢ちゃん。一枚頼むわ」
オレを試すように言う宮本に目一杯強がりを吐いてやると、案の定、解っているとばかりにオレから視線を外した。
外した視線の先には、長い金髪に巫女服というコスプレかと思うような風体の少女が岩の上に座って携帯ゲーム機を弄っている。
「守宮かなめ」。色々あって役所には妹として届けているが、実際は赤の他人という妙な関係にある。
「ん…、また?…聖司は弱過ぎるのよ、治癒符も無限にあるわけじゃないんだから、自重して欲しいのよ」
そう言って、かなめは袖の中から一枚の紙切れを取り出し、「イグニッション」と呟くと、オレに向かって紙切れを投げつけてくる。
同時にかなめの頭には大きな耳のようなものが付き、袴の後ろには大きな毛の塊…尻尾が現れる。
投げた紙切れには、ぐねぐねとした文字のようなものが浮かび上がって「符」となり、オレにピタリと張り付く。
「別に使わせたくてやられてるわけじゃない。…大体、普段ロクに外に出たがらないお前がなんで此処にいるんだ?」
「………きつねうどんとバサラ。オン・ロホウニュタ・ソワカ」
「買収か。安いな、土地神」
「お供えに対する正当な御利益なのよ。はい、もう大丈夫でしょ」
オレの指摘をあしらってやったと言わんばかりに満足げに尻尾が揺れる。
だが、過去何度か食事を差し入れてやっても、オレに何かを返そうとしたことはない。
多分、食物とゲームソフト以外にも絶対何かを掴まされている。
「よし、なら休憩は終わりだ。続けるぞ、聖司」
回復の符術を受けて体の動きが軽くなったのを感じると、ほぼ同時に宮本がオレを呼ぶ。
「…解った。それにしても、相変わらずアドバイスは殆ど無いんだな?」
言葉に従って向き合う。
そして構えたついでに、オレは宮本に多少不満に思っていたことを投げかけてみた。
「ハッ…、何を言うかと思えば。最初に言ったはずだぜ、俺はお前好みの戦い方なんて教えてやれないってな」
「それは知ってる。アンタの専門分野は殺し合いであって、武術家でもなんでもないって言うんだろ?」
「そいつが解ってるなら、俺が答えるまでもねぇはずだ。まぁ、殺し合いをご希望なら話は違ってくるがな」
まぁ、こう答えるだろうということは想像していた。
つまりは自分に最適だと思うところをやられながら覚えろと言いたいのだ。
宮本の役割はオレを叩きのめすことであって、コーチをする気は無い。
ただそれでも、春に銀誓館に来たときに比べれば、相手をして貰えるだけ有難いと思う。
「悪いな、今もそいつに対する答えは変わってないんだよ」
「そうかい。だったら何百回でもぶっ倒してやるから、生き残る気でかかってこい!」
そんなやりとりを交わしながら、殴りかかったオレが再び地べたに這い蹲るまで、それほど時間はかからなかった。
そもそも宮本との付き合いは、大体1年前だ。
正直なところ、出会わなければ良かったと思う。
それについてはお互いに意見が一致している。
もっとも、別に嫌悪し合っているわけじゃない。
出会い方がある意味では最悪だった…それだけの話だ。
ーーーよう、まだ生きてるな?
見たこともないバケモノに襲われていたオレに、宮本が最初にかけた言葉がそれだ。
宮本はオレの命の恩人だ。この男があの場に現れていなければ、オレは今生きていない。
そして、父さんの遺書を見つけることも出来ずに銀誓館に来ることも無かった。
しかし…、元を辿ればオレの両親が死んだのも、オレ自身が襲われたのも自分のせいなのだと宮本は言う。
その意味をオレはまだ問うことが出来ていない。
能力者でありながら、ゴーストの犠牲になった両親を救えなかったことに対して、過度の自責を負っているだけだと思うこともできる。
ただ、そんなことは悲しい話だが無いわけじゃない。運命予報士が必ず被害が出る前を予見出来るわけでもなく、オレもそんな依頼を請け負ったことがある。
だから、そういうことではないのだろう。十数年も能力者をやっていた男がそれだけのことで現実に目を伏せるようなことをするとは思えない。
さりとて宮本は頑なにその話題を拒む。
ただ一言、父さんと母さんが生きていたら絶対に会うことは無かったのだと、それだけを繰り返す。
故にこの出会いは不幸なのだ。分岐点となった原因が不幸であるなら、それに連なる現実もまた同じ。
少なくとも、その側面を否定することは誰にも出来無いのだろう。
だから、オレはせめてこれ以上の不幸を広げないことを選んだ。
そのために、宮本に戦い方を、これから生きていくための術を教えて欲しいと願ったんだ。
「まぁ、今日はこんなものか。ふん、もう半年か…早いもんだな」
「本当によくやるのよ。不毛にただ倒されるだけで何が得られるのよ?
…貴方も、なんで付き合うのよ?」
妖狐のお嬢ちゃんが、一仕事終えた俺に興味があるのか無いのかイマイチ図りかねる表情で問い掛けてきた。
なるほど、傍から見てると疑問に思うのはもっともだった。
「さっきも聖司に言ったがな、俺は武術を教えることは出来ねぇ。
そもそも俺自身習ったこともなければやったこともない。
昔は殺す気の喧嘩を覚えて、日本を出てからは軍隊で今度は本当に殺すための技術を覚えた。
…それは聖司も知ってることだ。だからこいつは俺にCQCを教えろと言ってきやがった」
「CQC?それも一応武術じゃないのよ?」
「重火器は使えないが、何でも良いから相手を無力化するかぶっ殺せ。
CQCなんてのは言っちまえばこれだけだ。どこぞの誰かが軍隊で磨いたやり方を護身術なんて型にはめ込んだ武術もあるんだろうが、俺は知らん」
極端な話だが、戦場で空手でもボクシングでも良い、それで相手が殺せるならCQCになりえる。
だが往々にしてそれが戦場で通じる訳もない。だから、色々な体術から技法を抽出してマニュアル化された対処法が一応は存在するのだ。
もっとも、それは人間相手だからこそのマニュアルで人間の常識が通じないゴースト相手にどれほど役に立つものか。
「はっきり言って、聖司は特別運動神経が良いわけじゃねぇ。恐ろしく頭が切れるわけでもねぇ。
武術をやるには平々凡々、取り立てて向いてるところがあるとは思えねぇ。上を見たらキリが無ぇほど聖司より強いのはいるだろうよ。
まぁ、本人も別にそういうのになりたいわけじゃねぇみたいだがな」
「なかなかボロクソに言うのよ。…でも、それだけ言ってもこうして協力するのはなんでなのよ?別に諦めさせるってつもりもないみたいだし」
「…生きるための勘だけは良い。
入学早々にド素人の状態でゴーストタウンに放り込んでも、抗体ゴーストの群れに突っ込ませても生き残るくらいにな。
どんな環境に適応して生き残るのが人間の強みなら聖司は良い人間になるぜ。だから、俺がこいつに教えるのは生き残り方だけだ」
俺の言葉に、お嬢ちゃんはしばらく黙り込む。
まぁ解っていない事は無いと思う。掴みどころがない風体だが、聡明であることは何となく解る。
「ようするに難題の対処法を自分で考えろってことなのよ。
面倒な話…、だったらその説明をしたらいいと思うのよ」
「ハッ、解ってねぇなぁ…お嬢ちゃん。
それを考えるのも訓練ってやつなんだよ。与えるものを絞って考え続けさせる。
考えることを止めちまったら、特別な才能の無い人間なんざあっという間に食われちまうぜ。
まぁ、今やってることに聖司が自分で気がつくなら話は別だがな」
時々考えることがある。
このやり方が、人に何かを教えることが苦手な俺の言い訳なんじゃないかと。
結果的に聖司はまだ生きている。誰かを盾にすることもなく、むしろ誰かの盾になってもなお生きている。
ーーーオレはまだ死ねない。だから、戦い方を教えてくれ。
半年前に聞いた言葉に、オレは嫌な予感を覚えた。
このままでは、こいつは俺と同じ轍を踏む。それだけはさせまいと思った。
弱い自分を恐れ、何も出来ない自分を恐れ、誰かを盾にして無様に生き残った自分同じ過ちを。
「…まぁ、ゴーストの巣を山ほど掻い潜って人の前に立って戦えるようにはなった。
それでようやく見えたんだろうな、ただの生き残るから戦って生き残るってことが」
今は思う。全てが杞憂であったと。
結果的に周りに助けられて生き残ってきた側から、聖司は自らが誰かを生き残らせる側へ回ろうとしている。
保身でも自己犠牲でも無い。人間の生き方として。
「仰る通り面倒なのさ、人間ってやつはな」
気絶して大の字に倒れる聖司を眺めて俺はニヤリと笑う。
しばらくしたら叩き起してやろう。まだまだ教えることは山ほどあるのだから。
真っ青な空から天地の引っ繰り返った世界を目にするまで僅かに一瞬のことだった。
更にズドンという重い音と同時に背中から突き抜けるような鈍痛を味わう。
「オイ…惚けてる暇は無ぇぞ、坊主」
大の字で寝ているオレの頭の上から、そんな声が聞こえる。
地面に叩きつけられた衝撃で飛んでいた意識を徐々に取り戻すと、ようやく事情が見えてきた。
(…ああ、また投げ飛ばされたのか)
こうして空を仰ぎ見るのは幾度目だったか、途中から数えるのも億劫になって止めていた。
そして、其の度に重く軋む身体を引き起こして立ち上がることを繰り返す。
ヨロヨロとふらつきながら身を起こすと、ニヤリと笑う男が立っている。
不精に伸びた髪と髭と深い傷痕だらけの顔。
使い古された皮のコートを羽織った男の纏う気配は、はっきり言って尋常じゃない。
否、言い方を変えよう。「カタギ」の雰囲気ではない。
それはそうだろう、数年前まで人の命を躊躇うことなく奪うような世界に身を置いていたのだ。
男の名は「宮本銀次」。
かつてフランス陸軍外人部隊に所属していた経験を持つ元軍人。
そして…15年前に銀誓館へ入学していた。無論、能力者として。
「情けねぇ面だな、もうへばったのか聖司?」
「…まだやれる」
「そうかい。…が、そのままやっても結果は見えてるな。
オイ、お嬢ちゃん。一枚頼むわ」
オレを試すように言う宮本に目一杯強がりを吐いてやると、案の定、解っているとばかりにオレから視線を外した。
外した視線の先には、長い金髪に巫女服というコスプレかと思うような風体の少女が岩の上に座って携帯ゲーム機を弄っている。
「守宮かなめ」。色々あって役所には妹として届けているが、実際は赤の他人という妙な関係にある。
「ん…、また?…聖司は弱過ぎるのよ、治癒符も無限にあるわけじゃないんだから、自重して欲しいのよ」
そう言って、かなめは袖の中から一枚の紙切れを取り出し、「イグニッション」と呟くと、オレに向かって紙切れを投げつけてくる。
同時にかなめの頭には大きな耳のようなものが付き、袴の後ろには大きな毛の塊…尻尾が現れる。
投げた紙切れには、ぐねぐねとした文字のようなものが浮かび上がって「符」となり、オレにピタリと張り付く。
「別に使わせたくてやられてるわけじゃない。…大体、普段ロクに外に出たがらないお前がなんで此処にいるんだ?」
「………きつねうどんとバサラ。オン・ロホウニュタ・ソワカ」
「買収か。安いな、土地神」
「お供えに対する正当な御利益なのよ。はい、もう大丈夫でしょ」
オレの指摘をあしらってやったと言わんばかりに満足げに尻尾が揺れる。
だが、過去何度か食事を差し入れてやっても、オレに何かを返そうとしたことはない。
多分、食物とゲームソフト以外にも絶対何かを掴まされている。
「よし、なら休憩は終わりだ。続けるぞ、聖司」
回復の符術を受けて体の動きが軽くなったのを感じると、ほぼ同時に宮本がオレを呼ぶ。
「…解った。それにしても、相変わらずアドバイスは殆ど無いんだな?」
言葉に従って向き合う。
そして構えたついでに、オレは宮本に多少不満に思っていたことを投げかけてみた。
「ハッ…、何を言うかと思えば。最初に言ったはずだぜ、俺はお前好みの戦い方なんて教えてやれないってな」
「それは知ってる。アンタの専門分野は殺し合いであって、武術家でもなんでもないって言うんだろ?」
「そいつが解ってるなら、俺が答えるまでもねぇはずだ。まぁ、殺し合いをご希望なら話は違ってくるがな」
まぁ、こう答えるだろうということは想像していた。
つまりは自分に最適だと思うところをやられながら覚えろと言いたいのだ。
宮本の役割はオレを叩きのめすことであって、コーチをする気は無い。
ただそれでも、春に銀誓館に来たときに比べれば、相手をして貰えるだけ有難いと思う。
「悪いな、今もそいつに対する答えは変わってないんだよ」
「そうかい。だったら何百回でもぶっ倒してやるから、生き残る気でかかってこい!」
そんなやりとりを交わしながら、殴りかかったオレが再び地べたに這い蹲るまで、それほど時間はかからなかった。
そもそも宮本との付き合いは、大体1年前だ。
正直なところ、出会わなければ良かったと思う。
それについてはお互いに意見が一致している。
もっとも、別に嫌悪し合っているわけじゃない。
出会い方がある意味では最悪だった…それだけの話だ。
ーーーよう、まだ生きてるな?
見たこともないバケモノに襲われていたオレに、宮本が最初にかけた言葉がそれだ。
宮本はオレの命の恩人だ。この男があの場に現れていなければ、オレは今生きていない。
そして、父さんの遺書を見つけることも出来ずに銀誓館に来ることも無かった。
しかし…、元を辿ればオレの両親が死んだのも、オレ自身が襲われたのも自分のせいなのだと宮本は言う。
その意味をオレはまだ問うことが出来ていない。
能力者でありながら、ゴーストの犠牲になった両親を救えなかったことに対して、過度の自責を負っているだけだと思うこともできる。
ただ、そんなことは悲しい話だが無いわけじゃない。運命予報士が必ず被害が出る前を予見出来るわけでもなく、オレもそんな依頼を請け負ったことがある。
だから、そういうことではないのだろう。十数年も能力者をやっていた男がそれだけのことで現実に目を伏せるようなことをするとは思えない。
さりとて宮本は頑なにその話題を拒む。
ただ一言、父さんと母さんが生きていたら絶対に会うことは無かったのだと、それだけを繰り返す。
故にこの出会いは不幸なのだ。分岐点となった原因が不幸であるなら、それに連なる現実もまた同じ。
少なくとも、その側面を否定することは誰にも出来無いのだろう。
だから、オレはせめてこれ以上の不幸を広げないことを選んだ。
そのために、宮本に戦い方を、これから生きていくための術を教えて欲しいと願ったんだ。
「まぁ、今日はこんなものか。ふん、もう半年か…早いもんだな」
「本当によくやるのよ。不毛にただ倒されるだけで何が得られるのよ?
…貴方も、なんで付き合うのよ?」
妖狐のお嬢ちゃんが、一仕事終えた俺に興味があるのか無いのかイマイチ図りかねる表情で問い掛けてきた。
なるほど、傍から見てると疑問に思うのはもっともだった。
「さっきも聖司に言ったがな、俺は武術を教えることは出来ねぇ。
そもそも俺自身習ったこともなければやったこともない。
昔は殺す気の喧嘩を覚えて、日本を出てからは軍隊で今度は本当に殺すための技術を覚えた。
…それは聖司も知ってることだ。だからこいつは俺にCQCを教えろと言ってきやがった」
「CQC?それも一応武術じゃないのよ?」
「重火器は使えないが、何でも良いから相手を無力化するかぶっ殺せ。
CQCなんてのは言っちまえばこれだけだ。どこぞの誰かが軍隊で磨いたやり方を護身術なんて型にはめ込んだ武術もあるんだろうが、俺は知らん」
極端な話だが、戦場で空手でもボクシングでも良い、それで相手が殺せるならCQCになりえる。
だが往々にしてそれが戦場で通じる訳もない。だから、色々な体術から技法を抽出してマニュアル化された対処法が一応は存在するのだ。
もっとも、それは人間相手だからこそのマニュアルで人間の常識が通じないゴースト相手にどれほど役に立つものか。
「はっきり言って、聖司は特別運動神経が良いわけじゃねぇ。恐ろしく頭が切れるわけでもねぇ。
武術をやるには平々凡々、取り立てて向いてるところがあるとは思えねぇ。上を見たらキリが無ぇほど聖司より強いのはいるだろうよ。
まぁ、本人も別にそういうのになりたいわけじゃねぇみたいだがな」
「なかなかボロクソに言うのよ。…でも、それだけ言ってもこうして協力するのはなんでなのよ?別に諦めさせるってつもりもないみたいだし」
「…生きるための勘だけは良い。
入学早々にド素人の状態でゴーストタウンに放り込んでも、抗体ゴーストの群れに突っ込ませても生き残るくらいにな。
どんな環境に適応して生き残るのが人間の強みなら聖司は良い人間になるぜ。だから、俺がこいつに教えるのは生き残り方だけだ」
俺の言葉に、お嬢ちゃんはしばらく黙り込む。
まぁ解っていない事は無いと思う。掴みどころがない風体だが、聡明であることは何となく解る。
「ようするに難題の対処法を自分で考えろってことなのよ。
面倒な話…、だったらその説明をしたらいいと思うのよ」
「ハッ、解ってねぇなぁ…お嬢ちゃん。
それを考えるのも訓練ってやつなんだよ。与えるものを絞って考え続けさせる。
考えることを止めちまったら、特別な才能の無い人間なんざあっという間に食われちまうぜ。
まぁ、今やってることに聖司が自分で気がつくなら話は別だがな」
時々考えることがある。
このやり方が、人に何かを教えることが苦手な俺の言い訳なんじゃないかと。
結果的に聖司はまだ生きている。誰かを盾にすることもなく、むしろ誰かの盾になってもなお生きている。
ーーーオレはまだ死ねない。だから、戦い方を教えてくれ。
半年前に聞いた言葉に、オレは嫌な予感を覚えた。
このままでは、こいつは俺と同じ轍を踏む。それだけはさせまいと思った。
弱い自分を恐れ、何も出来ない自分を恐れ、誰かを盾にして無様に生き残った自分同じ過ちを。
「…まぁ、ゴーストの巣を山ほど掻い潜って人の前に立って戦えるようにはなった。
それでようやく見えたんだろうな、ただの生き残るから戦って生き残るってことが」
今は思う。全てが杞憂であったと。
結果的に周りに助けられて生き残ってきた側から、聖司は自らが誰かを生き残らせる側へ回ろうとしている。
保身でも自己犠牲でも無い。人間の生き方として。
「仰る通り面倒なのさ、人間ってやつはな」
気絶して大の字に倒れる聖司を眺めて俺はニヤリと笑う。
しばらくしたら叩き起してやろう。まだまだ教えることは山ほどあるのだから。
青森のとある山中。外部との接点といえば道路が一本あるのみ。其処に小さな村が存在する。
いや、正確には村に満たない「集落」だ。そして、この場所は公的に登録された村の一部であって「何処にも無い」。
例えこの一帯の住所を役所に提出したとしても、本当の場所が該当することは無い。
誰かが知っている「別の何処か」にすり替わって認識される、そういう場所だ。
つまり、オレ…戸来聖司の故郷を誰かに話したところで伝わることが無い。
後から知った事実だが、此処は世界結界の外側にあった場所だった。
盛夏、照りつける日差しが忌々しいほどの暑さを地上にもたらしている。
本当に、こう暑くては蝉だって黙るだろう。
鎌倉に比べたら青森は涼しいだろうと踏んで来たが、その認識は甘かったと言わざるを得ない。
「ただいま、父さん、母さん。こう暑くちゃ、二人も大変だろ?」
オレはそう言いながら墓石の頭から柄杓で水をかけ流す。
炎天下に晒された「焼け石」の表面を、ジュッという音を立てて撫でていく。
気分的なものかもしれないが、僅かばかり涼しくなった気がした。
ふと空を見上げると、疎らな雲の先に見える空は広く青かった。
ほんの数ヶ月しか離れていなかったのに、それは懐かしい「良く知った世界」だ。
オレは今、両親の墓参りのために帰ってきている。
この一帯の人口自体そう多くないが、盆も過ぎると墓場に寄り付く人は極端に少なくなる。
それはそうだろう。こんな日陰の無い炎天下にわざわざ好んでやってきて、ご先祖様に挨拶にしたがる人などそう居るわけも無い。
信心深いご年配方とて、寄る年並みには勝てないというやつだ。
まぁ、それに此処に来たところで誰も居ないのだ。
この場所で「誰か」を会うことなど出来やしない。
確かに墓石の下に骨は埋まっているかもしれない。…だが、それだけだ。
『真実』を知った側から見れば、本当に「それだけのこと」でしかない。
「なんか色々と考え方がドライになってきたけど、オレは向こうでなんとかやれてるよ」
だから、オレがこうして墓石に話しかけるのも無駄なことだと解っている。
死んだ先に有るのは二つの道しかない。そう…真っ当に成仏するか、ゴーストになって生きている誰かを不幸にするかだ。
そして、真っ当に死んだ「誰か」は「個」を失う。
「在る」のは残留思念という世界に焼きついた記憶。誰のものでも無くなった幻想の単位に数えられるだけ。
嘘の無い世界の現実は、存外に空っ風が吹きそうなほど合理的に出来ている。
幻想を排除した先の現代社会で、目に見えない世界を空想する方が余程救いが有ると時々思う。
「向こうで父さん母さんにって友達におはぎとか貰ったんだぞ、母さんは好きだったよな。
流石に此処に置いとくのは拙いから、家の仏壇に置いとく。他にも土産は色々な、後で適当に物色してくれ」
応えるように風がそよぎ、線香の煙が空へ向かって燻る。
そう…それは全て気のせいだ。だとしても、オレは言葉を紡ぎ続ける。
これまでの事、そしてこれからの事を語り続ける。
この声が残留思念に溶けるなら、その中に僅かばかり残っているかもしれない二人の記憶に届くかもしれないのだから。
「…さて、それじゃ行くよ。次に来るのはたぶん来年だ、ああ…必ず来る」
最後の一言はむしろ自分に言い聞かせる言葉だったのかもしれない。
この世界は、本当に些細なことで命在るもの間引いていくから。
そんな理不尽に負けないためにオレはあの場所に居る。…そして、今はそれだけでは無くなった。
世界に騙されたまま犠牲になる誰かをオレは少しでも救えるだろうか…と、そう思うようになった。
同時にそれは自らを危険に晒す行為となる。
抗うべき理不尽を余計に背負うことになる。
…その覚悟は、正直まだ揺らいでいる。
だからだろう、なんだかんだ理由をつけて盆の過ぎた「今」を選んだのは。
《現実》は死んだ誰かに会う事は無い。けれど…もしも会ってしまったらと考えて、盆を避けて来た。
オレは、まだ答えを見つけていない。
----今、目に見える現実に抗う気があるなら、鎌倉の銀誓館を頼れ。其処にお前の真実へと至る道が在る。
----願わくば、その先にお前が望む生き方が有ることを願っている。
遺言状にあった道標は確かにオレを生かすための手段だった。
だが、最後に綴られた一文が、今になって重い。
結局はそれしかないから、戦わざるを得ないと…オレの中には、まだ生きる信念が無い。
問いに対する答えが無い今、オレは二人を安心して眠らせることが出来ないだろう。
「…だから、来年だ。それまでにやれることをやって、その中で決めることを決めてくる」
言葉は風に乗り、世界に溶けた。
墓石を伝う水がもう乾いていた。漂う線香の煙さえ、もうすぐ消える。
此処にオレがいた痕跡は何も残らないだろうが、今はまだそれで良い。
…そうして夏が過ぎ往く。
物言わぬ墓石に一匹の蜻蛉が佇む。
ただ、それだけの日常を残して。
いや、正確には村に満たない「集落」だ。そして、この場所は公的に登録された村の一部であって「何処にも無い」。
例えこの一帯の住所を役所に提出したとしても、本当の場所が該当することは無い。
誰かが知っている「別の何処か」にすり替わって認識される、そういう場所だ。
つまり、オレ…戸来聖司の故郷を誰かに話したところで伝わることが無い。
後から知った事実だが、此処は世界結界の外側にあった場所だった。
盛夏、照りつける日差しが忌々しいほどの暑さを地上にもたらしている。
本当に、こう暑くては蝉だって黙るだろう。
鎌倉に比べたら青森は涼しいだろうと踏んで来たが、その認識は甘かったと言わざるを得ない。
「ただいま、父さん、母さん。こう暑くちゃ、二人も大変だろ?」
オレはそう言いながら墓石の頭から柄杓で水をかけ流す。
炎天下に晒された「焼け石」の表面を、ジュッという音を立てて撫でていく。
気分的なものかもしれないが、僅かばかり涼しくなった気がした。
ふと空を見上げると、疎らな雲の先に見える空は広く青かった。
ほんの数ヶ月しか離れていなかったのに、それは懐かしい「良く知った世界」だ。
オレは今、両親の墓参りのために帰ってきている。
この一帯の人口自体そう多くないが、盆も過ぎると墓場に寄り付く人は極端に少なくなる。
それはそうだろう。こんな日陰の無い炎天下にわざわざ好んでやってきて、ご先祖様に挨拶にしたがる人などそう居るわけも無い。
信心深いご年配方とて、寄る年並みには勝てないというやつだ。
まぁ、それに此処に来たところで誰も居ないのだ。
この場所で「誰か」を会うことなど出来やしない。
確かに墓石の下に骨は埋まっているかもしれない。…だが、それだけだ。
『真実』を知った側から見れば、本当に「それだけのこと」でしかない。
「なんか色々と考え方がドライになってきたけど、オレは向こうでなんとかやれてるよ」
だから、オレがこうして墓石に話しかけるのも無駄なことだと解っている。
死んだ先に有るのは二つの道しかない。そう…真っ当に成仏するか、ゴーストになって生きている誰かを不幸にするかだ。
そして、真っ当に死んだ「誰か」は「個」を失う。
「在る」のは残留思念という世界に焼きついた記憶。誰のものでも無くなった幻想の単位に数えられるだけ。
嘘の無い世界の現実は、存外に空っ風が吹きそうなほど合理的に出来ている。
幻想を排除した先の現代社会で、目に見えない世界を空想する方が余程救いが有ると時々思う。
「向こうで父さん母さんにって友達におはぎとか貰ったんだぞ、母さんは好きだったよな。
流石に此処に置いとくのは拙いから、家の仏壇に置いとく。他にも土産は色々な、後で適当に物色してくれ」
応えるように風がそよぎ、線香の煙が空へ向かって燻る。
そう…それは全て気のせいだ。だとしても、オレは言葉を紡ぎ続ける。
これまでの事、そしてこれからの事を語り続ける。
この声が残留思念に溶けるなら、その中に僅かばかり残っているかもしれない二人の記憶に届くかもしれないのだから。
「…さて、それじゃ行くよ。次に来るのはたぶん来年だ、ああ…必ず来る」
最後の一言はむしろ自分に言い聞かせる言葉だったのかもしれない。
この世界は、本当に些細なことで命在るもの間引いていくから。
そんな理不尽に負けないためにオレはあの場所に居る。…そして、今はそれだけでは無くなった。
世界に騙されたまま犠牲になる誰かをオレは少しでも救えるだろうか…と、そう思うようになった。
同時にそれは自らを危険に晒す行為となる。
抗うべき理不尽を余計に背負うことになる。
…その覚悟は、正直まだ揺らいでいる。
だからだろう、なんだかんだ理由をつけて盆の過ぎた「今」を選んだのは。
《現実》は死んだ誰かに会う事は無い。けれど…もしも会ってしまったらと考えて、盆を避けて来た。
オレは、まだ答えを見つけていない。
----今、目に見える現実に抗う気があるなら、鎌倉の銀誓館を頼れ。其処にお前の真実へと至る道が在る。
----願わくば、その先にお前が望む生き方が有ることを願っている。
遺言状にあった道標は確かにオレを生かすための手段だった。
だが、最後に綴られた一文が、今になって重い。
結局はそれしかないから、戦わざるを得ないと…オレの中には、まだ生きる信念が無い。
問いに対する答えが無い今、オレは二人を安心して眠らせることが出来ないだろう。
「…だから、来年だ。それまでにやれることをやって、その中で決めることを決めてくる」
言葉は風に乗り、世界に溶けた。
墓石を伝う水がもう乾いていた。漂う線香の煙さえ、もうすぐ消える。
此処にオレがいた痕跡は何も残らないだろうが、今はまだそれで良い。
…そうして夏が過ぎ往く。
物言わぬ墓石に一匹の蜻蛉が佇む。
ただ、それだけの日常を残して。